Wax Poetics Japan 5号

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    wax poetics japan 5


    ウェブでのアップが遅くなりましたWax Poetics Japan No.5。
    定期購読して頂いているお客様のおかげで既にのこりわずか。いま現在、幅広いお客さんが購入しているわけではないのですが、文字や情報好きなコアなリスナーは確実購入してくれてます。それ故に面白く濃厚。

    生まれては消えの繰り返しの現在に、全く色褪せない良質な音楽を提供するこの貴重な音楽雑誌。沢山の方に見てほしいですね。

    wax poetics japan 5 内側


    Wax Poetics Japan No.05 (Book) ¥1200(税込)

    Miles Davis
    私は、運命、さだめ、そういったものに感情的になるような人物ではなかった。だが、2007年、レガシーのCDボックスセット『Miles Davis: The Complete On The Corner Sessions』のライナーを書かないかという電話をもらったときには、私は両目を思い切り開けて「神様、ありがとう!」と叫んだものだ。何年もの間、 私は、マイルスの革命的なエレクトリック・バンドについて書きたいと思っていた。そのバンドは1972年から1975年の間(『On The Corner』から『Agharta』『Pangaea』)、この地球上を震撼とさせたのだ。

    Large Professor
    ピート・ロックやDJ プレミアといったDJ 界の巨匠が影響を受けた人物として挙げるのが、クイーンズ出身の先達、ラージ・プロフェッサーだ。長年にわたり、人気のMC たちは彼のビートを求め、一流プロデューサーたちは彼のアドバイスを求めてきた。ラージ・プロフェッサーが大活躍していたのは、ナズがデモを作り、メイ ン・ソースのメンバーが高校に通い、SP1200が未知の新しいテクノロジーだった時代である。歴史に残るクラシック・アルバムがいくつかリリースされた 時代に、彼は大きな存在感を示していた。「俺はとにかく、進歩することだけを考えていた」。

    Erick B. & Rakim
    これは私の新著の中の1章である。タイトルもそのままなので分かりやすいはずだ。もともとは2003 年の末に『XXL』誌の、「Classic Material」というコラムのために行ったこのインタビューは、私の中でほろ苦い思い出になっている。しかし後になって振り返れば、苦味よりも得たも のの方がよほど大きかった。ラキムは本当に潔く私に過去のことを語り、話し始めて早々に本題に入ってくれた。一般的に、ほとんどのアーティストは活動初期 の話題になると心を開いて話し始める。でも相手はラキム、ヒップホップ界でも最も敬われ、また秘密主義だと言われているアーティストの1人である。

    Jimmy Cliff
    ジミー・クリフはレゲエ界の真のパイオニアだ。60 年代初期にビバリーズ・レコーズの立ち上げに関わり、より大きな栄光を手に入れるためにロンドンに渡った最初のジャマイカン・シンガーの1人でもある。ま た、南米とアフリカに多大なインパクトを与えた初のレゲエ・ボーカリストでもあり、音楽性の幅を広げることでオーディエンスを拡大してきた。彼は長編映画 の主役の座を獲得した初のレゲエ・シンガーとして、ジャマイカ島の活気ある音楽とカルチャーに国外のオーディエンスの目を向かせた。

    Booker T. Jones
    ブッカー・T・ジョーンズは、これまで自らの手でポピュラー音楽の進路を舵取りしてきた。文字通り、彼のその両手で。ジョーンズは、恐らくモータウンの ファンク・ブラザーズやニューオーリンズのミーターズに匹敵するポピュラー音楽史上最も偉大なスタジオ・リズム・セクションの1つ、ブッカー・T & ザ・MG ズのオルガニスト兼バンド・リーダーとして知られている。また、ブルース、R&B、ソウル、ファンク、カントリー、そしてロックン・ロールの交差 点である彼の故郷、テネシー州メンフィスという音楽の坩堝を体現した人物でもある。

    Mahavishnu Orchestra
    マイルス・デイヴィスの自伝『マイルス』の中で、彼は1971年のアルバム『A Tribute to Jack Johnson』に収められた曲を自分が作曲したと書いている。「私はあのボクサーの動きを考えていたんだ。シャッフルの効いたあの動きをね」。ボクシン グ・ジム行きの電車に乗るために歩いている最中の出来事だったらしい。「そいつは良く出来た話だな」。そのセッションに参加していたドラマー、ビリー・コ ブハムは少なからずの皮肉を込めて言った。『A Tribute to Jack Johnson』はマイルス自身が言うよりも遥かに即興的な形で表出したものらしいのである。

    Eddie Cheba
    サウス・カロライナ州マートルビーチ、ベイ・ウォッチ・リゾートにあるザ・フィッシュテイル・バー。このバーからは美しい浜辺が一望できる。まさかかつてゲットーのセレブだったラップのパイオニアがこんなところにいるなんて、誰も思わないだろう。

    Joe Cuba
    「ブーガルーのキングには決してなりたくなかった」。数年前、スパニッシュ・ハーレムの自宅アパートで、ジョンは私にそう打ち明けた。「キングになったら後でどうなるか、分かっていたんだ。ブーガルーの流行が廃れた瞬間に、キングもお払い箱になってしまうってね」。

    Lyman Woodard
    ライマン・ウッダードの訃報は世界中の良識ある音楽ファンたちを大いに悲しませたが、この才能あふれるミュージシャン/作曲家本人と良好な関係を築いていたワックス・ポエティックスにとっては、特に受け入れ難いものだった。

    Dam-Funk
    “ブギー大使"の別名で呼ばれているロサンジェルス出身のデイム・ファンクは、アナログ・シンセ満載の斬新なトラックとFunkmosphereクラブ・ナイトでのDJプレイを通して、80'sファンク/ディスコ復興の立役者として知られている。

    Quantic
    クァンティックことウィル・ホランドが、故郷であるイギリスのブライトンから、音楽に導かれるようにコロンビア第3の都市カリに移り住んで2年が経過した。彼の地では、クァンティック・アンド・ヒズ・コンボ・バルバロという新しいユニットが生まれた。

    Tommy Guerrero
    80 年代からプロ・スケーターとして活躍していたサンフランシスコ出身のトミー・ゲレロは、ソロ・アーティストとして早くも10 年以上のキャリアを誇るベテランであり、彼のトラックは、世界各地の熱狂的ファンに支持されている。

    DJ JIN
    音楽を生業にする身として、アナログ/デジタルに対しての個人的雑感から話を進めさせていただく。まず、Digidesign Pro Tools が普及し始めた2000 年以降の録音現場において。そこではもはや、完全にアナログとデジタルの棲み分けはなされたとみていいだろう。

    Maxwell
    その魅惑的な歌声により、これまでに多くのリスナーの耳目を集めてきたシンガー、マックスウェル。彼が実に8年ぶりとなるニュー・アルバムを完成させた。このキャリア4枚目のスタジオ・アルバムは「過去の苦悩」に言及した内容である。

    R&S Records
    ベルギーに行ったことがある人なら知っている。首都のブリュッセルでさえ、あるいはファッション・デザイナーが憧れるアントワープでさえ、そこには古いヨーロッパが佇んでいる。そんな町が1992年から少なくとも1996年まで、テクノ・ミュージックの中心地となったわけだ。

    Root Soul
    自分でも気づかないうちに、ルート・ソウルが2007年にリリースし世界的なダンスフロア・ヒットとなった「Spirit of Love」の旋律は、いつの間にか私の記憶にも残っていた。少し経ってから、それが数ヵ月前によく聴いていたミックスCDに入っていたことに気づいた。

    BAGDAD CAFE THE trench town
    夏を告げる雨が音もなく降っている。湿気がジメジメと肌にまとわりつく、不快指数の高い夜だ。6 月下旬の代官山LOOP。気が滅入りそうな外の気候とは打って変わり、会場内は温かく心地良いヴァイブスに満ちている。

    cro-magnon
    cro-magnonが新作を完成させた。タイトルは『4U』。4枚目のオリジナル・アルバムだから『4U』である。ここで味わえるのは、さらに磨きのかかった3人の演奏力と、より自由闊達に跳ね回るダンス・サウンドの数々。

    Smooth Current
    16、7年前にDJ 活動をスタートしたDJ RYOW a.k.a smooth current。アンダーグラウンドの現場より、長らくクラブ・シーンとヒップホップ・シーンの動向に目を光らせてきた彼が、いよいよオリジナル・アルバムを発表した。

    12inch Laboratory
    こんにちは! 今回より連載させて頂く岩沢洋です。自分、ぶっちゃけ青春は六本木のサーファーディスコで、それを引き摺りながらもレアグルーヴ好きという44 歳の物好きオヤジでございます。

    Styles from the Outer Dimensions
    ミレニアム飛躍マザーシップは、過去から現在へと前進し、未来へと後退し、現代に到着する。視界にファンクを必要としている者を探し求めて、未知と既知の銀河系を飛行する! マザーシップは33 1/3回転の速度で飛行し、夢遊病者だらけの惑星へと到着する。

    ヴァイナル駅伝
    暑いですね〜。そんな時こそ、クールなファイブ、じゃなくて、ヴァイブ! 体感温度が5度下がります。というわけで今回は、来日公演も記憶に新しい、僕の“心の太陽”ことロイ一本でいきたいと思います。



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    Wax Poetics Japan 4号

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      wax poetics japan 4


      当店でも人気のWax Poeticsの日本語版4号。
      ウェブのアップはそうとう遅れてしまいましたが非常に売れ行き好調です。
      長野県ですと販売店が少ないのが現状なところ。探している方が思ったより多いですね。恐らくネットで購入しているのでしょうか?
      是非今回の4号もゲットしてくださいね〜。

      現在創刊号は廃刊ですのであわせて「Wax Poetics Japan No.1」も宜しくどうぞ。
      (一時期Amazonでも高値で販売されてましたYo)

      あと関連動画も楽しんで下さ〜い。

      wax poetics japan 4 内側


      Wax Poetics Japan No.04 (Book) ¥1200(税込)

      Lee Perry
      1978年、リー・ペリーの才能は絶頂期を迎えていた。4年前に結ばれたアイランド・レコーズとの海外配給契約は、ペリーの霊妙なプロダクション・ワークを世に送り出し、マックス・ロメオの『War in a Babylon』、ジュニア・マーヴィンの『Police and Thieves』、ジョージ・フェイスの『To Be a Lover』といった作品群が彼に前例のないレベルの世界的成功をもたらした。その上、ボブ・マーリーとの共作作業は「Jah Live」や「Punky Reggae Party」といった古典の誕生に結実していた。

      Pete Rock
      3歳の頃、ブロンクスの家のリビング・ルームで起きたことを覚えてる。親父がかけたレコードが、俺に何らかの作用をもたらしたんだ。俺はダンスしたくなり、もっと聴きたくなった。その瞬間から、俺は音にものすごい興味を抱くようになった。音楽の響きに魅せられたんだ。音楽のことは親父が全て教えてくれた。レコードについて、どうやって扱えばいいか、どうやって手入れすればいいかといったこと。アーティストやレーベルについても教えてくれた。

      Bad Brains
      バッド・ブレインズは70年代後半にDCの南東地区で結成された。彼らはもともと黒人ミュージシャンだけでマインド・パワーというバンドを結成し、ビリー・コブハムやマハヴィシュヌ・オーケストラなどのアグレッシブなジャズに傾倒していたことが共感し合うきっかけとなった。当時ベーシストだったH.R.は、のちにバッド・ブレインズの予測不能なリード・シンガーとなり、彼の弟であるアール・ハドソンがドラム、そしてシド・マクレイがボーカルを担当していた。

      Wattstax Part2
      1970年代初期を振り返って「なぜあの時代は、あそこまでファンキーだったんだろう?」と不思議に思う人がいるかもしれない。『ワッツタックス』を見ればその答えが分かるはずだよ。『ワッツタックス』は、ファンクを生み出した文化的背景に光を当てているんだ。70年代初期のあのファンキーさは、当時のストリート・カルチャーや、みんながキッチンやバーバーショップで話し合っていた議題、そしてみんなが頭の中で考えていたことが土台になっている。

      Ahmad Jamal
      1958年、ピッツバーグ生まれの小柄で気品あるピアニスト、作曲家、そしてバンド・リーダーのアーマッド・ジャマルは、シカゴのサウス・サイドにある黒人所有のヒップなクラブ、パーシング・ラウンジで「Poinciana」というブロードウェイ曲を録音した。彼のエレガントなピアノ奏法は、ドラマーのヴァーネル・フォーニアのセカンドライン・シンコペーションと、イスラエル・クロスビーのベースラインに支えられ、この曲をジャズの世界において稀なもの、つまり、ヒット・レコードへと変えた。

      John “Jab’O” Starks
      ジョン・ジャボー・スタークスはかっこいい男だ。間違いない。ジャボーという名、ジャブ・オー!と驚嘆してもいいが、もしその名前にピンとこなければ、こう説明しよう。彼は世界でもっともサンプリングされているドラマーの1人だ。ジェームス・ブラウンの全生涯で他のどのドラマーよりも、彼のドラムが入った曲がチャート入りしている(なお、前号の『FUNKY DRUMMER』でインタビューされている彼の親友、クライド・スタブルフィールドが、ジェームス・ブラウン作品の中ではもっともヒットを持っているドラマーだ)。

      Cookin’ with Heat
      70年代中盤。悪臭のするマンハッタンのタイムズ・スクエア地下鉄駅に初めて降り立った時のことを、私はいまだに覚えている。子供だった私は、ラテン・ミュージックの最新盤と名盤が共にひしめくレコード・マートに度肝を抜かれた。

      12×12 Disco Ladies
      ハロー、ディスコ・フリークとその他の好奇心旺盛な魂達。またもや我々の12インチ・シングルの素晴らしい世界の、半ば科学的な探検へようこそ。今回は男性ホルモン満載な内容が多い音楽雑誌界に一石を投じる意味で、女性にスポットを当てて行こう。

      Home Improvement
      そこに1枚、あっちに2枚。始まりはいつも極少量である。やがてターンテーブルの横に固まりが出来る。それが肥大してきたらクレートを探してくる。

      Snowboy
      そのムーヴメントは70年代、ただ「Jazz Funk」と呼ばれていたという。イングランド南東部エセックス州で繰り広げられた黒人ダンサーたちと実験的DJ たちとのセッション。それはやがて、「Acid Jazz」として世界中のダンスフロアを席巻していく。

      The Three Innovators
      世界的に知られるジャズ・ダンス界の顔と言えばDJ ジャイルス・ピーターソンだが、熱心な探求者たちは、彼以前にクラブElectric Ballroom でブレイクした人気者、エセックス生まれのポール・マーフィーの存在を知っているだろう。

      Coldcut
      いつも彼らには驚かされる。ヒップホップという文化が大西洋を越えてやってきた80年代からビートを追究するジョナサン・モアとマット・ブラックは、世界中で信頼を得るニンジャ・チューンを率いることでも有名だ。

      Dilla Is Timeless
      今年の2月22日に、LAで奇跡のようなコンサートが行われた。2006年に32歳の若さで亡くなったあの伝説的プロデューサー、J・ディラの楽曲を40人編制のオーケストラが演奏し、ディラと交流のあったポス、ドゥエレ、アンプ・フィドラーなどがゲスト出演した。

      Parra
      アムステルダム出身のParraは、現在のアート・シーンで最も注目されている33歳のアーティスト。彼が手掛けるアルバムのジャケット、フライヤー、Tシャツのビビッドな色遣い、ミニマルなデザイン、独特の手描きフォントは、一度見たら忘れられないスタイルである。

      Freddie Hubbard
      12月29日に70歳で亡くなった、60年代から70年代にかけて最も影響力のあったトランぺッター、フレディ・ハバードにとって晩年はほろ苦いものだったに違いない。

      Bitty Mclean
      サウンドシステムではいつも即興で歌っていたから、曲を書くことはない。フリースタイルをテープに録ることを繰り返して歌を仕上げるんだ。

      The Sound Stylistics
      インコグニート、スノウボーイ、ニュー・マスターサウンズなど、UK ジャズ/ファンク界の代表的バンドのそうそうたるミュージシャンたちが、オリジナルのディープ・ファンクを演奏する。

      Nosaj Thing
      LAはこれまでエレクトロニック・ミュージックの最前線の都市として見られていなかったが、最近は世界中からエッジーなエレクトロニックのメッカとして見られるようになってきた。

      Jukka Eskola
      ユッカ・エスコラが注目を集めたのは、ファイヴ・コーナーズ・クインテットのトランペッター/フリューゲルホーン奏者として吹き込んだデビュー作が登場してからのこと。

      Kool Keith, KutMasta Kurt
      ヒップホップ界の重鎮、エグ・エロなリリカル天才クール・キースと、長年キースを支えてきた猛獣使い、もといベテラン・プロデューサー、カットマスター・カート。

      DJ Mitsu The Beats
      去る3月某日。渋谷区内にあるスタジオで彼はビート制作をしていた。組み上げたばかりのビートを何度も再生して、彼はじっくりとそのグルーヴを吟味している。

      Patrick Watson
      2006年秋発表のファースト・アルバム『Close to Paradise』が本国カナダで10万枚を売り上げ、同国のグラミー賞ともいわれるジュノー賞にノミネート。

      Hudson Mohawk
      飛び交うノイズと、地鳴りのように響くドラム・ビート。ハドソン・モホークが鳴らす変則的で中毒的なビートの数々に、耳の早いリスナーたちが注目し始めている。

      ヴァイナル駅伝
      拝啓 最近、このセットに自分でもハマってるMURO より。ちなみに今回は捻挫したので走りません(笑)。まずは、石川晶さんから行きますか(マーヤン風に)。




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      Wax Poetics Japan 3号入荷です

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        wax poetics japan 3


        当店でも人気のWax Poeticsの日本語版。遂に3号が発売されました。
        初めてWax Poeticsを販売する目的は「長野県 & 松本にもっと濃厚な音楽を提供したい」という目的で販売を開始し、そんなに県内で買う人いないでしょ〜って思っていたのにも関わらず評判が非常に良いですね。
        皆さん待っていたのでしょうか、このような雑誌。他にないすもんね。

        勿論、3号も最高。とりあえず買っときましょう(マジで)

        あと関連動画も追加したのであわせて楽しんで下さい(これもマジで)

        wax poetics 3内側


        Wax Poetics Japan No.03 (Book) ¥1200(税込)

        -以下卸元より-

        Wattstax
        なぜ、我々の文化的集合意識に鮮明に記憶される歴史的瞬間もあれば、忘れ去られる重要な瞬間もあるのだろうか? どの角度から捉えても、1972年のワッ ツタックス・コンサートは歴史的瞬間だったわけだが、1970年代が残していった瓦礫の中にこの重大イベントが30年間も埋もれてしまったのだ。1972 年8月20日におびただしい数の人々がロサンジェルス・コロシアムに集まり、これまでアメリカが見たことのない光景が繰り広げられた。


        Bill Withers
        彼のような人物はまずいない。ビル・ウィザースは、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハザウェイといった偉大なアーティストと同列に 語られるが、その誰もビルほど直接的に歌い、率直に曲を書き、極めて繊細な真実を描くことはない。彼はポップ・チャートのトップに上りつめたシンガー・ソ ングライターで、各賞を受賞し、その作品はバーバラ・ストライサンドにカバーされ、ドクター・ドレーにサンプリングされ、あらゆる世代のアーティストに影 響を与え続けている。


        Q-Tip
        あれは1990年のこと。『The Source』誌が変わった名前の新人グループのデビューLPに、前代未聞の5本マイクという最高点をつけた。それを見て興奮し、すぐにその 『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』と題されたアルバムを買いに走った読者が、内容を聴いて完全に期待を裏切られ、カセットテープをゴミ箱に放り込んで、すぐさま編集部宛に書 いたという抗議の手紙がその次の号で紹介されていたことを思い出す。


        MF DOOM
        映画は好きですか? だったら、何人か好きな脚本家の名前を挙げてみて欲しい。もし名前を思い出すのに必死になっているなら、こうした架空の登場人物の口から発せられる印象的な言葉を考えるという行為が、なかなか日の目を見ないアートフォームであることが分かってもらえるだろう。これらの知られざる台詞書きの名手たちが、有名な創造物の陰から自らの姿を現すことはほとんどないのである。ようこそ、ダニエル・ドゥミルの世界へ。


        Les McCann
        9/11後のマンハッタンで生活するにはゴム人形のガンビーより柔軟でないと生きていけない。女神ドゥルガーより多くの腕を持たないと人生が投げかけてくる変化球を捕まえきる事は不可能だ。最近ではギグの回数もめっきり減ったと認めざるを得なくなり、パグ犬のルイに今まで通りの生活をさせてあげる為には何か安定した副業を見つけるしかなかった。多少おしゃべりでもある私にとって教職は相応しい仕事と言えるかもしれない。


        King Tubby
        1967年、ルディー・レッドウッドのサウンド・システム用のダブ・プレートに、うっかりヴォーカルのトラックをミックスし損ねたバイロン・スミスの不作為によって、音楽の歴史において最も意味深い革新の時が訪れることになった。この些細なアクシデントの発展によって、ジャマイカという小さな島国で、リミックスという大芸術の形式が誕生したのである。それは、DJハークと彼の友人達がアメリカの地においてその概念に特許を出願した1970年代後期の遥か前の出来事であった。


        12×12 with Danny Krivit
        ニューヨークのクラブ・カルチャーについて知りたいなら、ダニー・クリヴィット以上のガイドはいないだろう。ニューヨークのダウンタウンで育ったクリヴィットの人生は、クラブDJが初めて登場し、人気を確立していく歴史とピッタリ重なっているからだ。グループが主流だった60年代(子供の頃はミンガス、ヘンドリックス、ザ・ヤング・ラスカルズに夢中だった)に生まれ、ロフトなどのクラブが有力になった70年代に、彼は思春期を迎える。


        Clyde Stubblefield
        全てはブレイクから始まった。70年代初頭のパーク・ジャムの連中は、ブレイクの威力を発見し、そこからヒップホップが誕生した。初期のBボーイやBガールたちが最も好んだブレイクの多くは、1人の男が生み出したものだった。それは、ポンパドール(オールバック)の髪型がキマっていた、ファンクマスターのジェームズ・ブラウン。ジェームズ・ブラウンの最もサンプリングされたドラム・ブレイクは、クライド・スタブルフィールドとジョン・ジャボ・スタークスという2人のドラマーが叩いたものだ。


        Daniele Baldelli
        宇宙船に乗り地球の周りを回っているところを想像してみてほしい。無重力で、遠く離れた場所で、無重力対応のiPodで音楽を聴いているのだ。あるいは、フリッパー(ダイビング用の水かき)を着けて、とうもろこし畑を駆け抜けようとしているしばし想像させてほしい̶̶糖蜜の入った巨大なタンクの中をトランクスとゴーグルだけ着けて泳ごうとするところ。このあり得ない遅さ、この……どろりとした液体を一気飲みするような感覚は、イタリアのアフロ・コズミック・サウンドと同じだ。


        How to Clean Dirty Records
        理由は何にせよ、どうも私はこの上なく酷な状況に晒されてきたレコード達に縁があるようです。そして、音楽自体の質とコンディションの相関関係は、どうでもいいアルバムに限ってミントであり、重量級のファンクに至っては大概使い尽くされているように思われます。ドロカス、ベタベタ物質、何で汚されているにしろ、それが意味しているのは、これらのレコードが手に負えない代物に成り下がっているということです。これらのものを如何に正しく洗浄するか、それを学ぶ事は汚れに埋もれた溝の中に隠された宝石を探し当てるということに他なりません!


        On The Blackhand Side
        映画『国民の創世』からジャー・ジャー・ビンクスに至るまで、白人による黒人描写の歴史には、意識的にせよ、無意識のうちにせよ、白人世界における黒人の立場をコントロールしたいという、白人たちの欲望が詰め込まれている。それは可変的で、含みのあるキャラクターや、ヴェールに包まれたイメージを通して行われてきた。こうした歴史のある時期、つまり1950年代、60年代において、ハリウッドはそれまで無視してきた社会階級に意識を向け、その階級を代表し、戦後の沈滞した映画産業を活性化できるスターを作り上げた。


        Re:Generations
        年齢やジャンルを問わず、どんなタイプの音楽ファンでも、必ずナット・キング・コールのソフトなバリトーン・ボイスを耳にしたことがあるはずだ。古き良きアメリカの時代を象徴するジャズ・シンガーだったナットは、世代を超えて愛されてきた。そんな彼の音楽を現代の若いリスナーに聴いてもらうべく、ナットの長女であるキャロル・コールが、音楽シーンの最前線で活躍するヒップホップ、ロック、電子音楽のアーティストにナットの楽曲をリメイクさせる『Re:Generations』を発案した。


        quasimode
        今や、日本のみならず海外でも高い評価を得るクラブ・ジャズ・バンドとなったquasimode。怒濤のリリース・ラッシュで2008年のシーンを牽引した彼らが、2009年初頭、早くも発表したニュー・アルバム『mode of blue』は、何と名門BLUE NOTEのカバー・アルバムだ。これまでも、数々のコンピや記念盤といった企画がクラブ向けにBLUE NOTEからリリースされて来たが、それらはクラブのリスナー達にBLUE NOTEの存在を知らしめるという意味合いが強かった。


        大野雄二 -Yuji Ohno-
        十代の頃からラジオの洋楽番組に耳を傾けジャズに興味を持ち、慶應高校に入ったことで、何人かのジャズ好きの仲間達と出会い、ジャズ喫茶に入りびたり、全くの独学でジャズを学び、ジャズ・ピアニストの道に進んだ。キャバレーなどでピアニストとして経験を積み、ご縁からCM音楽を作り出すようになり、超売れっ子へ。さらなるご縁からテレビ音楽、映画音楽などにも活動の幅を広げた。そして、ここ十数年は、再び人前でジャズを演奏することをこよなく愛しているピアニスト、作編曲家、それがヴェテラン大野雄二さんだ。


        Earl Palmer
        ジェームズ・ブラウンは、その優れたキャリアの間に最も多くの賞賛を浴び、それに十分値する人物だったが「ショウ・ビジネス界で最もハードワーキングな男」の称号に関して言えば、ブラウンよりもアール・パーマーの方がふさわしかったかもしれない。半世紀以上の間、ドラマー、プロデューサー、そしてアレンジャーとして、パーマーは挙げればキリがないほどのアーティストのレコーディング作品に貢献し、ポピュラー・ミュージックの定義付けに寄与した。


        Norman Whitfield
        「僕が目指したのはなんとか、スライ・ストーンに勝つことだった」。今は亡き偉大なノーマン・ウィットフィールドはかつてインタビュアーにそう言った。「スライのサウンドは新しく、彼が生み出すグルーヴは素晴らしかった。彼は最高だったよ。彼とはいい勝負ができたと思う。(彼の)リズムには(僕の)リズムを、(彼の)ホーンには(僕の)ホーンをという戦いだ」。さて、スーパー・ソウルの戦いは、どちらに軍配が?


        Alton Ellis
        アルトン・エリスが2008年10月18日朝、70歳で癌のため死去した時、ジャマイカ音楽史は人々に最も愛された黄金の歌声の1人を失った。彼はシンガーとして曲に真の魂を吹き込む事が出来た。例えそれが7インチ・シングルの中でもだ。エリスのレコーディング・キャリアが始まったのは1959年。彼はR&B、スカ、ロックステディ、レゲエの時代を通してジャマイカを見つめ続けてきた。


        Mulatu Astatke
        エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝の支配が終焉に近づいた頃、政府による厳しい検閲が行われていたにも関わらず、アディス・アベバではエチオピア伝統音楽とファンクやジャズなどを融合させた新たなムーヴメントが活気づいていた。60年代から70年代のこの時代の音楽は『Ethiopiques』シリーズで世界的に知られるようになったが、特にジム・ジャームッシュ監督の映画『Broken Flowers』でエチオピア人作曲家ムラトゥ・アスタトケの楽曲が多数使用され、若いリスナーやDJを虜にした。


        Guillermo Scott Herren
        2001年にギレルモ・スコット・ヘレンと出会ったとき、彼はプレフューズ73名義のファースト・アルバムをリリースし、ヒップホップとエレクトロニカを融合させたサウンドで世界的に注目を浴び始めていた。豪華なゲスト・ラッパーをフィーチャーしたり、作品ごとにイメージを覆してきた彼だが、最新作『Everything She Touched Turned Ampexian』ではプログレやサイケの要素を取り入れ、よりシンプルなインスト・ヒップホップ・トラックへと回帰している。


        Kero One
        自らの作品を出すためにラッパー兼プロデューサーであるケロ・ワンが設立したレーベル、Plug Labelのサイトには、彼のキャリアがどう始まったのかが記されている。何の経験も知識もなかった彼が自宅で録音した曲を、自らの資金で12インチにプレスし、50枚だけ流通させたのが2003年。その1枚を購入した日本のあるDJがプレイしたのをきっかけに、日本から3,000枚の追加注文が入った。この最初のシングル「Check The Blueprints」をきっかけに、彼の生活は大きく変化することになる。


        Emi Tawata
        彼女と歌声とその音楽には、いっさいの夾雑物がないと思う。純粋な、クリアなブラック・ミュージックの響きが、そのサウンドの内側にはギッシリと詰まっている。2008年にリリースした2枚のミニ・アルバムにより、世間に広く知られるようになった沖縄出身のシンガー、多和田えみ。彼女はときに「新世代の歌姫」や「ブライテスト・ホープ」とも称される注目株だ。そのエモーショナルな歌声に1度でも触れたら、そういう評判の高さも頷けるはず。


        Steph Pockets
        フィラデルフィアに生まれ、ヒップホップと共に育ったステフ・ポケッツ。MCであり、プロデュースも全て自らの手でこなす女性アーティストだ。幼少期は、当時ジャジー・ジェフ&フレッシュ・プリンスとして活動していたウィル・スミスが近所に住んでおり、ラッパーを志していた彼女を励ましてくれたというし、夢だったミュージシャンとなった今は、外国をツアーし、映画やCMの音楽も手がけている。


        Alf Alpha
        アルフ・アルファと名乗るロサンゼルスのニューカマーは、すでにあるものを組み合わせて新しい未来をつくるのが次世代の特権だと言わんばかりに、ヒップホップ、パンク、ジャズ、ファンク、ソウル、ディスコ、ハウス、エレクトロなどを大胆に引用、再構築し、まったく新しい音楽を鳴らしている。24歳にしてすでにスケート歴20年、ブレイクダンス歴8年を誇る生粋のストリート・キッズであり、アメリカ随一のミュージック・フェスティバルが発表する、2008年のベストDJ でもある彼。


        ヴァイナル駅伝
        さぁ〜て今月の「駅伝くん」は、大野雄二さん編をデリヴァリー! NGワードは、“ファンキー”と“グルーヴィー”で4649! 先頭集団で飛び出てきたのは、やはりあなたでしたか、の(1)! 今や海外では$100オーバーとも言われる盤で、来日した海外のプロデューサーほぼ全員に聞かせて全員にトレードしようと言われたレコード。ボム「忍び寄るインベーダー」には誰が早く忍びよる?


        Wax Poetics Japan | comments(0) | -